2012年
7月
12日
木
今、本屋のベストセラーコーナーに置かれている書籍「置かれた場所で咲きなさい」(渡辺和子著;幻冬舎)を私も読んでみました。
著者は修道者です。この本はキリスト教に裏打ちされた人生論です。
いろいろと感想の多い本です。私の心に残った部分を述べてみたいと思います。
(1)作者が50歳でうつ病にかかったということ。
私と同じ精神障害者だったということに共感します。
(2) 「不機嫌は立派な環境破壊だ」という言葉。(62ページ)
これは本書で一番心に残る言葉です。私の座右の銘の一つにしたいです。
(3) 「子どもは親や教師の「いう通り」にはならないが、「する通り」になる。」(52ページ)
この文を見たとき、うろ覚えですが私の記憶では、川上源太郎著「親の顔がみたい」に似た文章があったことを思い出しました。
確か、「子どもは母親のしないことを真似する。」と書かれていたと思いますが、ちょっと記憶に自信がありません。
(4)「 神さまは無関心であった者にこそ、愛に溢れた関心を寄せている。」(94ページ)
いかにもキリスト教徒らしい言葉です。
(5)「お母様だって、おいしいものが嫌いじゃないんだよ。」(128ページ)
著者の父親の言葉です。親が子どものために我慢をしていることを教えています。
(6) 東日本大震災が、未来への発展につながると信じると述べています。(23ページ)
この考え方には、意表を突かれました。私は震災に対しては、暗い感情しか持っていませんでした。
以上は本書の中で感心した部分ですが、ちょっと共感しにくいところもありました。
(7)私の偏見かも知れませんが、著者の西洋かぶれが感じられました。
特に78ページの、エレベーターの「閉」のボタンを押さないようにしているというのは、西洋人の真似じゃないかと疑っています。
(8) 44ページに、羽仁もと子に感銘を受けたと書いてありますが、羽仁もと子は戦争中に女性ファシストとして、軍を礼賛していた人なので、私はあまりこの人を信用していません。
(9)最後に、渡辺和子という人は、「老」というのを人々はネガティブに考えていると決めつけて、「老」をポジティブに変えようとしているように思えますが、もともと「老」というのは尊敬に満ちた言葉だと思います。中国人は大学を出たばかりの若い教師でも、「老師」と呼びかけています。
いろいろな感想を持ちましたが、内容豊かな本だと思いました。読む価値は十分ありました。
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